チリ

サンティアゴで空港泊。暇だからチリの歴史を調べてみた<Day353>

チリ サンティアゴ

 

こんにちはー、くにのりです。

 

353日目の2019年1月23日は特に何もせず、サンティアゴの空港で空港泊をしただけになります。

ということでしたことについてはあんまりブログに書くことないのですが、いた国については書くことあるので、そっちをブログにしたためたいと思います。

 

空港泊ってどうなの?って思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、僕的には下手な安宿泊まるよりよっぽど快適です。

清潔だし、wifiサクサクだし、飲食店あるし。

 

なにより空港ほど包容力のある空間は他にないです。

アロハシャツでも、半袖半パンでも、スーツでも、ロン毛でも、ハゲでも、髭ぼうぼうでも、手ぶらでも、ギター担いでても、どんな服装、どんな身なりでもある程度さまになる空間、それが空港ですからね。

空港万歳!です。

 

最後までお付き合いよろしくお願いします。

 

サンティアゴで空港泊した感想

まずはサンティアゴで空港泊した感想について。

僕たちは翌朝5時10分の飛行機だったので迷わず空港で寝ました。

ただチェックインは出発時間の3時間前からだったので、それまで保安検査場を通過することはできず、、でした。

 

wifi

時間無制限のフリーwifiが飛んでます。

スピードもそこそこ。動画も見れました。

 

寝る場所

サンティアゴ空港 寝る場所

僕たちは空港1Fの到着口で寝ました。

嬉しいことに肘掛がない椅子があるのでちゃんと横になることができます!

寝てる人もたくさんいてなんだか安心です。

 

サンティアゴ空港は夜もバンバン発着があるらしく、全然静かになりません。

そのため安全面の不安は少ないのですが、ゆっくり休むのは難しいかもしれません。

 

トイレ

そこそこ清潔なトイレがあります!

ただチリは衛生的な意味で水道水を飲んではいけない国なので、歯磨きなどは注意してください!

 

食事処

これが問題。

グーグルマップで見るとスタバやマックがあるのですが見当たらず。。

 

なんと保安検査場を抜けた後にありました。

なので、チェックインするまではそこに行けません。

 

搭乗口を入る前にあるのは、ちょっとしたカフェかドーナツ屋がピザ屋か微妙そうなレストランです。

僕たちはピザをチョイスしましたが想像よりも美味しかったです!

サンティアゴ空港 食事

 

安全面

スリなどには注意が必要ですが、特段大きな問題はないように思いました。

警官らしき人や警備員らしき人もちらほらいますし、何より夜中でも人がたくさんいるので、重犯罪の心配は少ないように思います。

 

 

・・・

という感じです。

積極的に「この空港で寝るといいよ!」というわけではありませんが、空港泊するのに全然問題はありません。

ちなみに「この空港で寝るといいよ!」はウィーンの空港ぐらいです。

 

チリの歴史

いきなりチリの歴史なんてどうしたんだ?と思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、空港泊をしただけではあまりに淡白なので、なんか他に書いちゃおうということです。

なんでも人生に例えちゃうマンと共にどうぞ。

 

 

ではまずスペインがやって来る前について。

▼先住民がいました

▼インカ帝国ができ、組み込まれそうになりました

▼チリ北部は組み込まれたけど、チリ南部は抵抗し続けました

 

特段変わったことは起きてません。南米はこんな感じです。

 

詳しいことは詳しい方に譲りますが、南部が抵抗し続けられたのは地理的な優位性があったんだと思います。

そもそもチリ南部はインカ帝国から遠いので、インカ帝国からしたらそこまで行くのが大変ですし。

 

もちろん戦術的に長けていたなどの要因もあるかとは思いますが、”その地にいた”というが抵抗し続けられた大きな要因だと思ってます。

世の中の大抵の国はその国が存在する土地の環境にめちゃめちゃ影響を受けています。当たり前っちゃ当たり前ですが。

 

なんでも人生に例えちゃうマンになると、人生も限りなく運の要素が大きいと思ってます。

努力だけでどうにかなるなら全員努力しますからね。まぁ努力しないと運もやってこないかもしれませんが。

なので、「努力してきた苦労してきた俺私すごいっしょ!?」という姿勢よりも、「確かにけっこう頑張ったけど〜、実際運に恵まれただけよ」という姿勢の方が僕は好きです。

 

 

話が逸れました。

 

スペインがやってきました。

▼強いやつ(インカ帝国)よりさらに強いスペインが南米に登場

▼スペインがインカ帝国を滅ぼし植民地になる

▼チリもスペインの植民地になる(チリ南部は抵抗し続けた)

 

スペインさんの登場です。

今の感覚からすると「なんて傲慢!非人道的!」という気持ちもありますが、この時代は「ヨーロッパこそ発展系!それ以外は未開の地。我々ヨーロッパが発展させてあげよう」ぐらいの感覚だったんでしょう。

ちなみにこの感覚を「傲慢すぎるんだけどwww」と言ったのがレヴィ=ストロースさんです。構造主義を唱えた人です。僕的にめちゃめちゃ噛み砕くと世の中みんなポジショントークってのが構造主義です。

 

話がまた逸れました。

スペインが南米に攻めてきたときもチリの南部は抵抗し続けたみたいです。

こうなるともう文化ですね。

 

インカ帝国が攻めてきた時に抵抗して、それがうまくいった成功体験があるので頑張れたんですかね。

負けない&折れない文化ができたからこその抵抗ではないでしょうか。

 

なんでも人生に例えちゃうマンになると、小さな成功体験の積み重ねが大切なんだと思います。

あと文化って一朝一夕に出来るもんじゃないと思うんですけど、特に組織においてはめちゃめちゃ重要だと思います。

日本の働き方改革も制度云々の問題もありますが、個々に根付いた文化を変える苦痛に耐えられるかが肝な気がします。

 

 

なんても人生に例えちゃうマンうざいですか?

うざかったらすみません。

続けましょう。

 

 

ヨーロッパではフランス革命があったりなんだり激動の時代を迎えます。

▼ヨーロッパでナポレオンが暴れる

▼スペイン混乱

▼混乱に乗じて南米各地で独立戦争勃発

 

ナポレオンの歴史への参加度やばいですね。

僕が暴れてもただの変なやつですが、ナポレオンが暴れたことによって世界中の歴史が動いたんだからすごいです。良い悪いはわかりませんが。

 

なんでも人生に例えちゃうマン的にはあれでしょうか。個々のちょっとした行動でも世界に与える影響は大きいもしれないというバタフライエフェクト的なところでしょうか。

もううまく例えられなくなってきました。

 

 

ついにチリが独立します。

▼1818年に独立達成!

▼資源(硝石)を巡ってペルー&ボリビアと戦争し勝利

→ ボリビアは海に面した土地を失う

→ イギリスが暴落した硝石証券を買い漁りのちに大儲け

→ ボリビアとは現在も国交断絶中

 

海に面していない国って貧しくなりがちだと思うのですが、ボリビアはこの時の戦いがその後数百年の運命を決したのかもしれません。

幸せかどうかとかそういう話はわかりませんが、明らかにボリビアはチリより貧しいですし。

 

てゆーかイギリスぅぅぅ!!!って感じですね。

したたかに儲けてますね。こうなると戦争の裏にはイギリスがいたんじゃないかとすら思ってしまいます。

このころのイギリスが残した問題ってめっちゃ尾を引いてますね。

中東問題とか、インドーパキスタン問題とか。

 

なんでも人生に例えちゃうマンは一旦やめにして、個人的には日本に資源がなくてよかったなと思っています。

資源があると政治は腐敗し、一部の特権階級だけが富を独占する構造になりやすいと思います。

 

まぁ既得権益持ったらなかなか手放せないですよね。

僕なんか電車の座席ですら譲るの稀ですし。

文字にして気付きますが、なんてちっちゃな人間なのでしょうか。

 

 

ここからのチリはアメリカが暗躍します。

▼1970年 世界初の民主的選挙による社会主義政権(アジェンデ政権)が誕生

→ 年金の引き上げ、医療費の国民負担の軽減、スラム街への病院や学校の建設、最低賃金の引き上げ、などの社会改革を実行

▼アジェンデ政権は世界一の埋蔵量を誇る銅鉱山の国有化を実施

アメリカ資本の会社が生産の8割を占めていた

▼第二のキューバ(社会主義国)を恐れたアメリカがCIAを使って工作

→ 社会主義のアジェンデ政権打倒のため軍事クーデター発生

→ アジェンデ大統領は自殺(暗殺の可能性も?)

→ 軍事政権(ピノチェト政権)誕生

 

チリの国旗って、自由と平等の理想の国家としてアメリカ合衆国を模範にしようと、星条旗をイメージしたものらしいです。

そんなチリがアメリカの都合によって混乱します。なんとも虚しいです。

ベトナムとか中東みたいに代理戦争にならなかっただけましですが。

 

てか代理戦争ってやばいですよね。戦争だけでも悲劇的なのに代理って。

アフガニスタンとかイラクで戦争が起きた余波によりシリアもあんな形になってしまったと思うので、ベネズエラの隣国も心配です。

 

そもそも武器がないと戦争はできないわけで、その武器によって儲けている人たちがいるわけで。

複雑な利害関係のもとに世界各地で争いが繰り返される一方、日本にいると平和って当たり前なものに感じますが、奇跡的なものだと思います。

 

なんでも人生に例えちゃうマン(復活)からすると、ないものばかり追ってないでまずは今あるものに感謝するのが幸福感を得るのに手っ取り早いと思います。

失ったら悲しい環境があるということはすなわち幸せなんだと思います。

 

 

例に漏れず軍事政権はひどいことをします。

▼軍事政権(ピノチェト政権)が反体制派の市民を弾圧

→ 約3万人もの犠牲者が出る

→ 10万人以上が強制収容所送り

▼国民100万人(全国民の10分の1)が国外逃亡

▼貧困率はアジェンデ政権時代の倍の約40%に増加

 

どえらい混乱です。

チリという国でこんなことがあったとは全く知りませんでした。

 

正直知ったからといって特にどうにかなるわけではありませんが、日本に生まれてよかったなという気持ちは強まりました。

こんな知識が役立たない社会であれば良いなと思います。

 

あとなんでも人生に例えちゃうのは疲れました。

 

 

ソ連崩壊と時を同じくして、また南米の周辺国の民主化から少し遅れて、チリの政治にも民主化が戻ります。

▼国際社会の批判を浴び、総選挙を経て1990年に民主的な文民政権誕生

▼2006年に初の女性大統領誕生

→ 閣僚の半分が女性になる!

▼軍事政権時の大統領ピノチェトが死亡

→ 女性大統領はピノチェトが亡くなった時に国葬を拒否

→ 女性大統領のお父さんは軍事クーデターに反対し投獄され獄死していた

 

時代って動くときには一気に動くもんなんですねきっと。

 

てゆーか閣僚の半分が女性ってすごいですよね。

日本も女性のあーだこーだを色々いうなら、政治家や会社の管理職に女性を抜擢すれば良いと思います。

どう頑張っても男性には女性の気持ちはわからないし、その逆も然りだと思います。

その前提に立つと、社会をデザインする立場に多様性がなければ、多様性のある社会なんて生まれないと思います。今ってその立場に多様性皆無ですからね。

 

あとなんか女性大統領とそのお父さんとピノチェトの関係にはなんだかドラマがありますよね。

おじさん的には父の想いを受け継ぎ、国の未来を考え、やがてチリ初の女性大統領になったバチュレさんの心境を想像すると感動します。

報われたのかどうかはわかりませんが、報われる系の話に弱いです。

 

 

以上、チリの歴史でした。

僕の余計な話をたくさん入れたので長くなっちゃいました。

すみません。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

生活の情報コーナー

本日のご飯

朝→シリアル

昼→自炊

夜→空港でピザ

 

本日の宿

サンティアゴ空港

 

本日使ったお金

2230円です。

(100チリペソ≒16.5円)

 

宿泊費:0円

食費:1700円

移動費:530円

 

うな重が食べたいです。

 

kuni

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