こんにちは、くにのりです。
最近フェイスブックやインスタグラムに知らない人と知らない人の結婚式の写真や子供の写真がよく出てきます。
みんななんでそんなに友達がいるのか、実は僕の倍ぐらい生きているんじゃないでしょうか。
本日のブログはそんな僕の貴重な友達Mが愛するスロバキアの首都ブラチスラバででダラダラした楽しい日々を送った3日間(213〜215日目|9月5〜7日)についてです。
目次
ブラチスラバ堪能① ブラチスラバ城と街歩き
ブラチスラバのシンボルとも言えるブラチスラバ城です。
もちろん今の姿とは違いますが、紀元前3500年頃にはこの地に既に要塞のようなものがあったと言われています。
紀元前3500年とかあまりにも前すぎてハゲそうです。抜け毛が気になります。
今のブラチスラバ城の原型は9世紀頃に作られて、そこから改装に改装を重ねて18世紀頃に完成しました。改装を重ねすぎて原型という言葉の意味を成してないような気もします。
その間、ハンガリーのものになったり、オーストリアのものになったりして今に至ります。
昨日のブログで出てきたオーストリア帝国の女帝マリア・テレジアちゃんも住んでいました。
マリア・テレジアちゃんのお家がこちら。
お家①オーストリアのシェーンブルン宮殿
お家②スロバキアのブラチスラバ城
本家の宮殿(シェーンブルン宮殿)のすごさが際立ちます。そういう意味でぜひ見ておくと良いような気がします。
僕は見たことないですがヴェルサイユ宮殿とかも華やかなのでしょう。比較することでより明確にすごさがわかる気がします。
ちなみにですが女性の権利が全然認められていない当時のヨーロッパで、女性が帝国のトップに君臨するってとんでもないことだったみたいです。マリア・テレジア超すげぇです。
当時のフランスあたりのお偉いさんは「宝石や化粧で飾る女性より、自らの才能で輝く女性が最も美しい」とか言ったらしい。よくそんな言い回しが出てくるなと思います。
ブラチスラバ城からドナウ川方面を見るとオーストリアとハンガリーの2カ国を同時に見ていることになるらしいです。
見ている分にはただの土地なのですが、そこに国境という目には見えない線があると思うととても不思議です。
せっかくなのでドローンも飛ばしてブラチスラバ城と街並みを撮ってみたのでご覧いただけると嬉しいです。
ブラチスラバ城を降りると聖マルティン大聖堂があります。
スペインやイタリアで見てきた大聖堂より小さいですが形も違うし色も特徴的です。
中に入りたかったのですが結婚式やってました。めでたい。
続いてはプリマティア宮殿。
ハンガリー帝国時代は王様の載冠式を行っていた場所です。
外装がピンクで「おぉかわいい・・」なんて僕の感性で思うことはなく、ぼちぼちの宮殿でした。
ブラチスラバの街はとてもコンパクトで観光しやすいです。オーストリアやハンガリー所縁のものも多く、スロバキアの国としての歴史がこれからであることを感じます。
友人Mが住んでいること、とんでもない熱量でスロバキア愛を語ってくることでブラチスラバの街を身近に感じられて数倍楽しく歩けました。
ブラチスラバ堪能② AKB峯岸も来た銅像
ブラチスラバは謎の銅像が多数あります。
ナポレオンの銅像です。フランス大使館の前にあるからですかね。
ブラチスラバもナポレオンに落とされているらしいです。
こちらがAKBの峯岸さんも記念撮影したと言われる銅像。
峯岸レベルじゃ全然プレミアがつきませんね。僕がAKB興味ないだけかもしれませんが。
この写真の銅像の上にあるのは饅頭です。じゃなくてみずほさんでした。変な顔してますね。
この銅像となったおっさんは実在したらしく、なんでマンホールに潜って街を眺めていたかは謎らしいです。
やり続けたことで銅像となりブラチスラバのシンボルの1つになったのだからそれはそれですごい。
ブラチスラバ堪能③ ワイン試飲祭り
「血の代わりにワインが流れてるんじゃないか?」
なんて言われたことはありません。
そもそもお酒もくっそ弱いのですが、スロバキアはワインが有名らしく、しかも安く楽しめるとのことでワインセラーに行ってきました。
スーツ着て海外で働いている同級生Mに半袖短パンの無職がついていきます。
最近友達が転職したり海外赴任したり起業したりしていて、無職放浪中の僕の胸中は穏やかではありません。まぁ旅を始めてしまったので旅を全力で楽しむしかないのですが。
とても良い雰囲気です。
ワインには赤と白があるという知識ぐらいしかないので
「おぉぉぉめっちゃワインあるぅぅぅ!!!」
ぐらいの感想しか言えないのですが、あまりお酒を飲まない僕たち2人だけでは来ることのなかった場所に来れてとても感動しました。
店員さんと友人Mに全てを委ね、試飲開始です。
2つの白ワインを試飲しました。
日本の安い居酒屋で飲むワインよりもはるかに飲みやすく美味しく感じました。
”お酒”よりも”ぶどう”の主張が強いので、お酒弱男の僕にはちょうどよかったです。
日本に留学したスロバキア人曰く、日本のワインはまずくて高いらしいです。
確かにヨーロッパはワインもビールも1ユーロで飲めたりするので日本は高すぎるというのは納得ですし、味についても生産してきた歴史が違うのでレベルが落ちるのかもしれないと思いました。
お酒好きな人にはチェコやスロバキアは天国な気がします。
ブラチスラバ堪能④ 日本食のレベルが高い
ブラチスラバの日本食は日本でも行きたくなるぐらい美味しいです。
タイ、ネパール、ハンガリーで日本食を食べましたが、味はブラチスラバの居酒屋KOSHIDAが1番です。
餃子
餃子って野菜と肉を同時に摂取できてしかも美味しいので最強の料理の一つだと思ってます。まじうめぇです。
日本では原宿にある原宿餃子樓というお店が安くて美味しくて好きです。
卵焼き
日本食代表。ふわふわの食感と口に広がる甘みがたまりません。自分で作るときは砂糖多めに入れて甘くする派です。
カツ丼
美味すぎて独り占めしたくてみずほさんにあげる前に食べ切ろうとしたらバレました。
まじでうまいです。
そば
日本人に生まれてよかった。そう思うほどに心温まる味でした。ちなみに僕はうどんよりそば派です。
この他にもシメサバや鯖の塩焼きを食べたのですが美味しすぎて写真撮るの忘れました。
どこから仕入れているのかわかりませんが、とにかく鯖が美味しすぎていつもサバサバしているみずほさんもノリノリでした。
ブラチスラバに訪れた際は財布の紐を緩めて是非行ってみてほしいお店です。
続いての刺客はラーメン。
ちゃっかり6月頃に一時帰国した僕が最初に食べたのがラーメン。
日本のRAMENは世界を席巻するポテンシャルを持ってますからね。
味噌ラーメン
辛味噌ラーメン
ブダペストにある温泉をこのスープにしてもいいんじゃないかと思うぐらい美味しかったです。
海外で食べるラーメンって麺がショボいケースが多いと思うのですが、このお店は麺を日本から直送しているらしく、モチモチで美味しい麺を食べることができました。
一杯10〜15ユーロするのでお高いのですがケチらずに食べてよかったです!
ブラチスラバ堪能⑤ プラハの春のお勉強
前のブログでもちょこっとふれましたがプラハの春(1968年)から50年が経ったということで当時の写真が飾られています。
プラハの春はチェコスロバキアの民主化運動です。
第二次世界大戦が終わったと思ったら始まった冷戦(資本主義vs社会主義)。
チェコスロバキアはソ連側(社会主義側)に取り込まれました。
他国が戦後復興を遂げていく中で、自分たちの国は貧乏(経済の停滞)、しかもそれを批判することもできない(言論の抑圧)ため不満が高まります。
そして1960年代に始まる民主化運動。
言葉を武器とする文学者や未来への希望を抱く学生から政府批判が始まったそうです。
民主化運動の甲斐あって、
・検閲制度の廃止(言論の自由の保障)
・新たな政党の結成(今までは一党独裁)
・経済の民主化(欧米文化の受容)
が始まろうとします。
しかし、この流れが社会主義陣営の東欧諸国全体に広がるのを危惧したソ連は1968年に軍事弾圧に踏み切ります。
その軍事弾圧の様子の写真がこちらです。
戦車の前から逃げない青年
ソ連の戦車が街を弾圧
この軍事弾圧により民主化運動は失敗に終わり、その後のチェコスロバキアは全てなかったことにする”正常化”という路線をいくことになります。
何かを主張してはいけない重苦しい雰囲気が民主化される20年後(1989年)まで続いたらしいです。
民主化運動自体は失敗に終わったのですが、ソ連の軍事弾圧、それに立ち向かうチェコスロバキア市民の様子がメディアを通して世界に流れることで、社会主義陣営で絶対的存在であったソ連の権威が揺らぎ始めました。
その意味でプラハの春はとても重要な歴史的な出来事だったようです。
今では欧米風のカフェが溢れ、資本主義の象徴のようなAmazonやIBMの支社もブラチスラバにあるので、たった50年でこれだけ変わると思うと50年後の日本も世界も全く想像つきません。
過去を現在から見ると今では考えれられないことが多々ありますが、その背景には何らかの必然性があり、その必然性や変わったこと変わらないことに目を向けることが大切なのかなと思いました。
生活の記録コーナー
本日のご飯
自炊&日本食&ラーメンなど
本日の宿
Mさん宅
本日使ったお金
3日間合計で8700円です。(1ユーロ≒130円)
宿泊費:0円
食費:8700円
クライマックスシリーズ、セリーグは巨人、パリーグは西武が勝ち上がると予想してます。
kuni