こんにちは、くにのりです。
去年の今頃は夏休みを取って、東北を車中泊やキャンプしながら周ってました。
もしも読んでくれている方の中に今度東北の方に旅行に行く方がいて、
「東北のおすすめスポット教えろやこの無職やろー」
という方がいましたらコメントください!
本日のブログはシントラ観光とリスボンでの日々(8月7〜9日)です!
シントラ観光!リスボンからシントラへ
ポルトガルの首都リスボンにやってきました。
リスボンには
・ジェロニモス修道院
・ベレンの塔
という世界遺産があるのですが、一旦それは置いといてシントラという地域を観光します。
シントラはリスボンから電車で45分ぐらいの場所にあり、シントラの文化的景観として世界遺産に登録されています。
世界遺産オンラインガイドの説明を見て見ましょう。
ポルトガルの首都として知られているリスボンの近郊には、「シントラ」という街があります。シントラは、12世紀に、「レコンキスタ(国土回復運動)」を完了しており、14世紀頃には、ポルトガル王室の避暑地になっていたと言われています。そうした歴史を有するシントラには、レコンキスタの名残を見せるイスラム建築なども残されており、独特の景観を形成しています。現在では、この地に残されている建造物を含めた街の景観自体が、「シントラの文化的景観」として世界遺産に認定されています。
読みました?
読んでないですよね?
端折って言うと、
・イスラム教とキリスト教が混在して景観が独特
・昔のポルトガル国王の宮殿がすげぇ
っていう世界遺産です。
僕はこの世界遺産を楽しみにしてまして、ケチケチモンスターにとっては高いのですが、観光にお金使わないのも本末転倒ということで行ってきました!
まずロシオ駅に行って、
お得なシントラ周遊パスを買って、
※当日しか買えないらしいので注意です!
シントラへ向かいました!
ホームも電車も良い感じ!
シントラ観光についてはリスボンからの行き方やシントラ・ロカ岬の観光ルートがまとめられている以下の2つ記事がわかりやすいです。
ポルトガル観光|ロカ岬&シントラ観光で混雑を避けるモデルコース
リスボンから日帰りプチ旅行♪「シントラ」&「ロカ岬」への行き方・街歩きのポイント
僕が懇切丁寧にまとめても上記の2つの記事の方が圧倒的にわかりやすいと思うので、ここからは僕の感想を写真とともにサクッといきます。
シントラ宮殿
こちらがシントラ宮殿。
4世紀頃のポルトガル王の別荘らしい。
こんな別荘が欲しいです。
会社辞めなきゃよかったかな。。
シントラ宮殿から見る景観も素晴らしいです。
別荘といえば、僕の友達のお父さんが定年退職後DIYで別荘建築中らしいのですがめっちゃ素敵ですなぁ。
レガレイラ宮殿
こちらがレガレイラ宮殿。
12世紀の王様の別荘らしい。
シントラ宮殿とはだいぶ雰囲気が変わるところが面白いです。
レコンキスタ(キリスト教国家によるお前らキリスト教国家にしてやる活動)による支配のちょっと前ぐらいなので、イスラム建築の趣があるような気がします。
イニシエーション(儀式)の井戸と呼ばれる場所。
十字軍がどうとか、フリーメイソンがどうとか、都市伝説系の情報が錯綜しているワクワクスポットです。
儀式感が出ています。
イニシエーションの井戸から続く洞窟。迷路です。
時代が時代なんで当たり前ではありますが、外敵から身を守る意図を感じます。
観光地なんで楽しく歩けますが、人がいなければ肝試しスポットとして最適な場所だと思います。
肝試しスポットいえば、学生時代に埼玉の北のほうにある肝試しスポットに夜に男3人で行ったら怖すぎて悪ふざけも何もせずに帰ったことがあります。
ビビリの塊です。
洞窟を抜けると時代はそこは12世紀の世になっていた・・・
なんてことはなく、飛び石を歩いたりします。
まるでドラクエやFFの世界です。
両方ともやったことないですが。
なんていうか摩訶不思議な空間です。
歩いているとマジで自分がどこにいるのかわからなくなるんですが、それがまた迷宮のようで面白いです。
僕たちは時間がなかったのでサクサクと出口を目指してしまいましたが、2時間ぐらいゆっくり時間をかけても全然楽しめると思います!
ムーアの城跡
7〜8世紀頃に造られたとされるムーア人の城跡です。
ムーア人は北西アフリカのイスラム教徒のことで、その昔はアフリカからポルトガルまで勢力を拡大していたんですね。
後にレコンキスタ(キリスト教国家によるお前らキリスト教国家にしてやる活動)によって征服されてしまうんですが。
遠くに見える城のてっぺんを目指します。
時間がないので僕だけ猛ダッシュ。
てっぺんに着きました。
めちゃめちゃ良い景色です。
ロカ岬というユーラシア大陸の最西端も見えます。
ロカ岬に行くと最西端まで来たね証を貰うことができるらしいのですが今回は断念。
ペーナ宮殿
こちらがペーナ宮殿。
元々は廃墟となった修道院だったらしいのですが、時のポルトガルの王が命じて19世紀頃に夏の離宮にリノベーションされました。
間違いなく19世紀最大のリノベーションだと思います。
廃墟からこのカラフルさと可愛らしさは振り幅がやばいですね。
なんでカラフルで可愛らしいかというと、19世紀頃のヨーロッパではロマン主義というロマンチック最高だぜブームがあって、そのブームに乗っかった(代表的な)建築がこのペーナ宮殿です。
当時のヨーロッパは産業革命後で資本主義の隆盛もあり、ごりごりの合理主義で理性こそ全てみたいな時代でした。
その反動からロマンチック素敵というロマン主義が流行りだして、ペーナ宮殿のような建築が生まれたとか。
よく喋るわりには写真なくない?
って思いませんでしたか。
この角度からのこの写真しかないのです。
時間がなかったのです。
悲しきリスボンでの日々
なぜ時間がなかったのか?
リスボンで休憩しすぎたからです。
というのもアフリカ→ポルト→コスタノヴァ→アゲダ→リスボンというルートでやってきたのですが、リスボンで僕の身体が危険信号を出し始めました。
疲れがたまると右耳の下のリンパ?が痛くなってくるんですよね。
ついでに親知らずも疼いてきて。
※良い対処法があれば教えてください!
こりゃ高熱出す前に休憩だぁぁぁぁぁ
ということで
8月7日(184日目)も8月8日(185日目)もリスボンで休憩してました。
で、シントラ観光に行ったのは8月9日(186日目)で、この日は夜にイタリアに飛行機で向かう予定でした。
「イタリアの前に体調を万全に整えたいよね〜」
「シントラも無理しなくてもいいかもね〜」
なんて会話を8月8日の夜にして寝たので、ついつい油断して8月9日の朝をゆっくりと過ごしすぎてしまったのです。
シントラ行かなかったらリスボン来た意味ゼロになると思って行くには行ったのですが、行く時間が遅くなってしまい、でも夜は飛行機に乗るので大急ぎで観光することになってしまいました。
リスボンではひたすら休憩していたので、このブログの冒頭に紹介したリスボンにある世界遺産の
・ジェロニモス修道院
・ベレンの塔
も行けずじまい。
僕はポルトガルの中でリスボンを最も楽しみにいていたのですが、自分の身体が貧弱すぎて消化不良で終わってしまい、悲しきリスボン観光となりました。
生活の記録コーナー
本日のご飯
朝→宿
昼・夜→自炊
積極的に鶏の胸肉を摂取しました!
本日の宿
「White house Lisbon Hostel」
本日使ったお金
22800円です。(1ユーロ≒130円)
宿泊費:10400円
食費:3500円
移動費:5300円
観光費:3600円
セリーグのCS争いが面白いので全員注目しましょう!!!
kuni