マケドニア

プリズレンからスコピエへイージー移動!何もないのが良いスコピエ<Day230>

スコピエの銅像

 

こんにちは、くにのりです。

 

巨人 vs 西武

という僕の予想は完全に外れ、

広島 vs ソフトバンク

という日本シリーズになりました。

 

お金(選手の総年俸)という観点で見ると、

広島:約25億

ソフトバンク:約61億、

という圧倒的格差の球団対決です。

 

僕は4勝3敗でソフトバンクが勝つ気がします。

 

 

本日のブログはコソヴォ・プリズレンからマケドニア・スコピエに移動してそのまま観光した230日目(9月22日)です。

 

マケドニアはここ

マケドニアの位置

ギリシャの上です。隣同士は仲が良いか、もしくは揉めているかが世界の常みたいなもんですが揉めてます。

 

スコピエはここ

スコピエの位置

 

全然関係ない話ですが、いや、全然関係なくもないのですが、グーグルマップをよく見ると国境が点線になっている国があるんですよね。

コソヴォとセルビアの国境

グーグルマップを眺めるのが好きで、

「あ、点線だー!」とか

「えー!!!こんなところに街があるんだ!」とか

「この国聞いたことねー!」とか

やっているのが嵩じた結果、長期旅行に出てしまっている節もあるので、あんまり見るもんじゃないと思います。

 

 

うな重が食べたい。とにかくうな重が食べたい。

 

プリズレンからスコピエへバスで移動

移動情報まとめ

前置きが長くなってすみません。

プリズレンからスコピエまではバス1本でダイレクトに行けるのでイージーです。

ただの移動情報なので、必要でない方はとばしてくださいm(_ _)m

チケット購入場所|プリズレン中心部の代理店

料金|1人9ユーロ(クレジットカード支払い可)

出発時刻|AM9:00

到着時刻|PM1:00

所要時間|4時間

 

◾️チケット購入場所

・プリズレン中心部の代理店(Vector Tours)

 

バスターミナルまで行って買えばもう少し安く買えたかもしれないのですが、まったり怠惰系旅行者として宿から徒歩1分の旅行代理店で買いました!

 

◾️乗車場所

・プリズレンの中心部

 

こちらのハマムの向かいになります。

 

バスターミナルが始発なので、そこから乗ることも可能です。

僕たちは中心部の方が近かったのでハマムの向かいから乗車しました。

 

・プリズレンのバスターミナル

 

◾️降車場所

・スコピエのバスターミナル

 

実際の移動の様子

チケットはこんな感じ。

プリズレンからスコピエのチケット

席は指定ではなく自由です。

バスターミナルが始発のため、ハマム前では既にほとんどの席が埋まっていました。

 

 

プリズレンからスコピエのバス外観

予定の9時から10分ぐらい過ぎてバスがやってきました。

”VECTOR”とバス正面に表記があるのでわかりやすいです。イージー。

 

 

プリズレンからスコピエのバス車内

バスの中はそこそこ綺麗。エアコンもトイレもついてました。

 

特に何のトラブルもなくコソヴォ側国境へ。

ここでパスポートを集められますが、特にバスを出たりはしませんでした。

時間がかかることもなく出国し、マケドニア側国境へ。

ここでもパスポートを集められるだけで、難なく入国できました。

 

 

ということで、コソヴォ・プリズレンからマケドニア・スコピエの移動はイージーです。

ちなみにコソヴォからセルビアへの移動はハードです。ハードというかNGです。

コソヴォからセルビアに入れるは入れるのですが、セルビアはコソヴォを国として認めていないので、入国スタンプを押してくれません。

そうするとセルビアを出国するときに、

「は?お前どこから入国してきたの?スタンプないし不法入国じゃね?アウトォォォ!!!」

となるそうです。

 

スコピエ観光!何もないことを楽しむ!

スコピエには一泊の予定なので、早速観光に出かけます。

 

宿からトボトボ15分ほど歩いて旧市街にきました。

 

スコピエの街並み|旧市街 スコピエの街並み|旧市街

閑散としていました。

現在マケドニアの領土となっている地域はかつてオスマン帝国(現トルコ)の支配下にあったので、旧市街はトルコっぽい街並みです。

この時点ではまだトルコ行ったことなかったのでトルコっぽい街並みとは?ですが。

 

 

傘祭りみたいなのがありました。

やりきるつもりがなければ中途半端にやらなきゃいいのにと思います。

 

旧市街はさほど雰囲気があるわけでもなく、お店も貴金属屋ばかりであまり興味もなく、10分で散策を終えてしまいました。

 

 

ムスタファ・バシナ・ジャミーヤムスタファ・バシナ・ジャミーヤ

オスマン帝国支配下時代に建てられたモスクです。

後にトルコでモスクだらけの街並みを見ることになるのですが、このようなモスクを見るとその類似性から「本当にオスマン帝国の支配下だったんだな〜」と感じます。

 

長期旅行だと似たような街並みを連続して見ることが多々あり、視覚的には飽きてしまう気持ちもありますが、最近は「ここは元々○○の支配下だったからだよね〜」なんて感じでそれはそれで楽しめるようになりました。

 

 

スコピエ城塞スコピエ要塞

ドゥブロヴニク、コトル、シュコドラ、プリズレンと城塞続きの日々だったので、外から見るだけにしました。

「何もない」という気持ちでスコピエの街を歩いているので、「城塞も大したことないだろう」と片付けてしまいました。

前もって知識・情報を調べると街歩きが楽しくなりますが、反対に固定観念を持ってしまうこともあります。でも本当にスコピエは何もない。。

 

 

スコピエで食べたアイス

暑かったのでアイス。

短めの街歩きなのにも関わらず、アイス休憩を入れるところに僕の大いなる成長を感じざる得ません。

ケンカは疲労からくる不機嫌に起因したりするので、アイス休憩の効果は絶大です。

 

「歩くのちょっとだけだしアイスもったいなくない〜」

とちょっと前までケチケチ精神から思っていたのですが、最近はその心意気がもったいなく思えてきました。

 

実際はアイスが数十円と安かっただけです。

 

 

スコピエの銅像

石橋の雰囲気はいい感じです。僕の地元にある浦和橋の1億倍ぐらいいい感じです。

 

 

 

ここからは銅像パラダイスです。

スコピエは観光に力を入れようとしているらしいのですが、何を思ったか銅像を大量に作り始めたらしいです。

 

スコピエの銅像 スコピエの銅像 スコピエの銅像スコピエの銅像    スコピエの銅像 スコピエの銅像

銅像に次ぐ銅像、まさに銅像地獄。否、銅像パラダイス。

本当にびっくりするぐらい銅像だらけなのですが、この路線を突き詰めて銅像を作りまくればやがてワンダーランドのようになって人気を博すのではないかと思うぐらいです。

未来のスコピエに期待です。

 

ちなみにスコピエは1963年に大震災がありかなりの被害を受けたのですが、その後の復興の都市計画を世界から募った際、なんと日本人の丹下健三さんという方のプランが採用されました。

そういう側面もあるので、分かる人が見れば興味深い点もあるかもしれません。

ただ僕たちは分からない人なので、ボケーっとサクーっと街歩きをして観光を終えました。

 

ギリシャと揉めているマケドニア

マケドニア共和国は現在ギリシャと揉めていまして、何を揉めているかというと国名と領土です。

領土は隣国同士ではよくある話なので置いといて、国名って珍しいですよね。

 

現在のマケドニア共和国の領土となっている地域はマケドニア地方の一部です。

というのも、20世紀の初めぐらいに戦争を繰り返した結果、マケドニア地方は

①南部5割:ギリシャ

②北西4割:セルビア

③東1割:ブルガリア

という形に分割されまして、現在のマケドニア共和国という国は②の当時のセルビア領が独立してできた国なんですね。

 

で、その独立した国は”マケドニア”を国号としたわけなんですが、これに対してギリシャが

「あのー、マケドニアってギリシャの歴史に由来する地域なんですけどー」

といちゃもんつけてきまして。

 

なんでかっていうと、紀元前4〜3世紀頃にマケドニアという地域にはマケドニア王国なるどデカイ帝国があったんですが、そのどデカイ帝国はギリシア民族に由来するらしんですね。

 

で、現在のマケドニア共和国はスラヴ民族が北から南下してきてできた国家でして。

 

つまり、古代マケドニア王国と現代のマケドニア共和国は領土は重なれど民族的には繋がりがないんです。

古代マケドニア王国と民族的な繋がりがあるのはギリシャであり、ギリシャ人としての誇りだと。

 

だからギリシャは

スーパー大帝国の古代マケドニア王国はギリシア民族に由来するんだから、テメェらがマケドニアという国を名乗るんじゃねぇ!!」

「ギリシャの歴史と誇りを奪うんじゃねぇ!!」

と主張しています。

 

ちなみに、マケドニア共和国は国旗も古代マケドニアに由来するものを使っていたんですが、これにもギリシャがいちゃもんつけました。

なんなら、いちゃもんに留まらず経済封鎖とかしてマケドニア共和国を困らせました。

 

ということで、マケドニア共和国は国旗も変更し、正式国名も”マケドニア旧ユーゴスラビア共和国”としています。

マケドニア共和国の経済はギリシャに依存している部分も大きく仕方なかったようです。

今のところ国名は”北マケドニア共和国”で落ち着くかもしれません。

 

ただ、ここで思い出すべくは20世紀初めのマケドニア地域の領土分割で、

①南部5割:ギリシャ

②北西4割:セルビア ←現在のマケドニア共和国

③東1割:ブルガリア

こうなっていたわけなんです。

 

要はギリシャにマケドニア人が多いわけでして、実際のところはマケドニア人が多いギリシャ北部の領土問題に発展するのをギリシャは恐れているんじゃないかとも言われています。

 

 

埼玉が東京と名乗ったら東京は怒るのか、

横浜を南の浦和なんて呼んだら怒るのか、

僕が竹野内豊と名乗ったら誰かが怒るのか、

 

難しい問題を前にして、そんなことを考えました。

 

生活の記録コーナー

本日のご飯

朝→宿

昼→パスタ・スープ

夜→自炊

 

本日の宿

Hostel Log Inn

 

本日使ったお金

6350円です。

(1ユーロ≒130円、1マケドニアディナール≒2.2円)

宿泊費:2450円

食費:1550円

移動費:2350円

 

 

最近はドラマSPECを見返しています。

次はケイゾクにいきたいと思います。

 

kuni

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POSTED COMMENT

  1. kikuna より:

    丹下健三氏は日本人なら誰でも知っている国立代々木競技場第一体育館などを設計した著名な設計家です。
    スコピエはキリスト教(Orthodox)で有名ですからイコンが集めらた城塞下の教会などが最も観光客を引き付けているようです。

    • kanda001 より:

      kikuna様

      コメントありがとうございます!
      国立代々木競技場第一体育館を丹下健三さんが設計していたとは知りませんでした!
      正教会のイコンが見事なんですね。もう少し下調べをしっかりして観光すればよかったとちょっと後悔です。。
      この度はご教授いただきありがとうございます!引き続きこんな僕たちですが暖かく見守っていただけると幸いです。
      よろしくお願いいたします。

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