キングダム今後もおもしろくあれ、くにのりです。
西安から兵馬俑までの行き方と兵馬俑を楽しむコツについてはこちらをご覧ください!
今まで観光というと自然系の景色の方が好きだったんですが、それは歴史系の遺跡や建造物、博物館を楽しむ土台がなかっただけで、土台となる知識をつければもっと楽しめるんだろうなと感じております。
高校生や大学生のときちゃんと勉強しとけばよかったなと今思ってしまうので、あと10年ぐらいしたとき、20代のときもっと勉強しとけばよかったなと思わないように、人生を楽しむために日頃から勉強しなければと思う所存です。
目次
キングダム聖地巡礼!いざ兵馬俑へ
中は公園のようになっていて、テクテク歩きます。
↑これなんてただの山並みが見えるだけの眺めですが、「あーゆう山々を抜けて戦とかしていたのかな〜」なんて頭の中で楽しみます。
10分ぐらい歩くと第二の入り口があります。
どう考えても無人でいいところに人が立っておられます。
無駄にお金かけやがってとケチ族は思います。
ここを抜けると兵馬俑があります。
ここからは兵馬俑の凄いところをお伝えしていきます。
キングダムの聖地|兵馬俑の凄さ① 8000体という数
とにかく数が多いです。
現在まで確認されているだけでも約8000体もあります。
写真だとわかりにくいかなとも思うんですが、いざ入場してこの兵馬俑がどーんと目の前に現れると圧巻です!
僕がもし武士だったら瞬殺でやられています。
ただ並んでいるだけではなく、しっかり隊列を作っている点も様々な陣形があったんだろうなと思わせてくれます。
兵馬俑が保存されている博物館は1〜3号館まであり、1号館が最も多くの兵馬俑を見ることができます。
上記の写真は1号館のもので、約2000体の兵馬俑が保存されています。
キングダムの聖地|兵馬俑の凄さ② みんな違ってみんなでかい
数が多いのにみんな違うんです。
あとみんなでかいんです。
若者もいれば、老齢の方もいて、馬もいます。
手には本物の剣が握られていたらしいですが、長い月日を経てさすがに朽ちてしまったそうです。
キングダムの中で嘘みたいにでかい登場人物出てきますが、あながち誇張していないんじゃないかと思えるほどに1人1人でかくてごついです。
横顔だと正面よりもさらに1人1人違うことがよくわかります。
調査では、元々は色も塗られていたことが判明したそうです。
将・騎兵・歩兵と個々の役割も反映されている造形や全体の陣形を見ると、嬴政(始皇帝)は死後の世界や来世でも自身の志をかけて、壮大な戦いを挑もうとしていたのかもしれません。
これらの俑は実在した人物を元に作られているため、合従軍との戦いや朱海平原の戦いに参加した人もいるかもしれないと思うと
ワーワーワーワーワー
とおしゃべりが止まらなかったです。
キングダムの聖地|兵馬俑の凄さ③ 立地が意味深
兵馬俑は全て東を向いています。
東には何があったかというと、当時中華統一を果たす為に熾烈な戦いを繰り広げた楚・韓・魏・趙・斉・燕という六国です。
始皇帝は死して尚、秦国や中華のことを思い、六国を威圧し続けようとしたのかもしれません。
これだけでもお腹いっぱいになれるぐらいですが、もっと興奮するのがこの兵馬俑がある立地です。
蕞なんです!
蕞といえば秦と合従軍の戦いで最後の舞台となった地です。
キングダムでは蕞に住む兵士ではない一般の民が秦国の危機を救うために武器を持ち、身を呈して戦います。
そうした民を鼓舞するために、秦王・嬴政が蕞で叱咤激励を飛ばし、自らも戦いに身を投じます。
史実の記録では
龐煖が趙・楚・魏・燕の4カ国の精鋭を率いて蕞を攻めたが抜けなかった
とあるだけなので、キングダムのようにドラマチックな戦いがあったかは実際にはわかりません。
また、秦王・嬴政が戦場に出た記録も史実上にはないそうです。
ただ、蕞があった場所に兵馬俑が存在している事実から想像すると、嬴政(始皇帝)が蕞に絶大な信頼や大きな感謝など特別な思い入れがあったことが伺えます。
そうした感情が湧くのは、中華統一を果たす道のりの中で、蕞が殊更に大きな役目を担ったのかもしれません。
そしてそれは、嬴政が秦王になって以来の国の危機である合従軍との戦いの中にあったのかもしれません。
そう考えると、キングダムのようなドラマチックな戦いが蕞の地で行われていても不思議ではないと思います。
まあただの僕の妄想ですが。
ということで試しに読んでみてください。
会社の飲み会の10000倍ぐらい楽しいです。
キングダムの聖地|兵馬俑の凄さ④ 発見のされ方
この兵馬俑、発見されたのは1974年と割と近年です。
考古学者や歴史家の調査団などではなく、この地に住む農民が井戸を掘っていたら、
「なんかあるアルネ」
と見つかったらしいです。
しかも、当初は兵馬俑が何かはよくわからなかったため、地元の役人含めてその価値に気づかず、
「とりあえず放置アルネ」
とシカトを決め込んだらしいです。
放置すること2ヶ月、とあるマスコミの記者が偶然この地を立ち寄って兵馬俑を見たときに秦代の兵馬俑であることを見抜き、国の中枢までこの情報が届きました。
そうしてやっとこさ調査チームが形成され、いざ発掘作業を始めると出るわ出るわ兵馬俑って感じだったらしいです。
井戸掘ってなかったら、、、
記者が立ち寄らなかったら、、、
記者がアホだったら、、、
と考えると奇跡的な気がします。
中国に限らず、世界にはまだ発見されていない大発見がたくさんあるかもしれないと思うと仕事なんてしていられません。既に無職ですが。
キングダムの聖地|兵馬俑の凄さ⑤ 兵馬俑から見えてくる発見
1人1人異なる兵馬俑から、秦が多民族国家であったことがわかりました。
だからどうしたんだよって感じでもありますが、中華統一という目的のために、家柄や経歴に囚われずに様々な人材を活用していたということです。
キングダムの主人公の信は下僕から這い上がりますが、本当にそういった人物がいたのかもしれません。
また、都市伝説的なノリで地下宮殿の存在が囁かれていましたが、兵馬俑の存在が明らかになったことで、「おいおいまじアルネ」となってきました。
実際に巨大な地下空間があることもわかったそうです。
嬴政(始皇帝)は不老不死にも興味があり、水銀が不老不死に繋がると考えていたため(効果はめっちゃ真逆ですが)、地下宮殿の近くには水銀でできた川や海があると言われていました。
「んなわけないアルネ」と誰もが思ってましたが、自然界よりも濃度が約100倍高い水銀が地下から発見されました。
兵馬俑発見
↓
調査団本気
↓
地下から色々発見
という流れで、伝説が事実であることが解明されつつあります。
↑こんな感じで壊れてしまっている部分もありますが、紀元前200年頃に作られたモノが現代まで残っていることに本当に驚きます。
キングダムの聖地|兵馬俑を訪れた感想
あーだこーだと好き勝手に妄想することもできるし、実在した過去を垣間見ることもできるし、素晴らしい場所でした。
TV東京の『やりすぎ都市伝説』が大好きな僕からすると、歴史ロマン系はたまらないし、ロマンが本当だったともなれば興奮が冷めません。
ちょっとお高めの価格設定(1人150元=約2500円)ですが、その価値は充分にあると感じました。
紀元前200年頃に作られたモノが今もなお残っていることを思うと、秦王・嬴政の秦国や中華統一・繁栄に対する想いがそれほどまでに深く、そして絶大な力を持っていたのだと思わざる得ません。
キングダム聖地巡礼は続きます!
よろしければ『キングダム聖地巡礼!西安にある秦二世陵遺跡公園で博物館にウキウキ』もご覧ください!
本日のご飯
朝
肉まんと胡麻団子
安定の美味しさです。
昼
兵馬俑で食べた麺
この旅でワースト3に入るまずさでした。
安く美味しく済ますなら、ご飯は西安に帰って食べた方が良いです!
夜
デリのお弁当(青椒肉絲、麻婆豆腐、ニンニクの芽と牛肉炒めなど)
昼食を挽回してくれる美味しさでした!
本日の宿
昨日と変わらず
西安故里驴友驿站
(Xi’an Hometown Hostel)
本日使ったお金
8350円です。(1元≒17円)
宿泊費:1500円
食費:1000円
移動費:700円
観光費用:5100円
雑費:50円
ということで2日にわたった兵馬俑、というかキングダム。
全然関係ないですが、5月18日(金)に放送された『やりすぎ都市伝説』おもしろいのでオススメです。
kuni